ナナシナ日記

熊本発、無所属、新人。ナナシナタロウの日記です。youtubeチャンネル→【https://goo.gl/B0kt6a】

ワンマンを終えて&アルバム収録曲紹介


12/10(月)ミニアルバム「シアンパレット」のワンマンが終わった。

 

ニュースでは冬将軍が到来だのなんだの言われるなか

 

たくさんの人が足を運んでくれたこと、感謝します。ありがとう。

 

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いままでワンマンっぽいライブは何回かやらせてもらったんだけど

 

ちょっと企画色が強かったりしたので

 

(語りびきというイベントとかね)

 

なんかいかにもワンマン!という感じは初めてで、

 

レコ発も初めて、ドラムサポートも初、、と

 

お初が多い夜でござんした。初夜や。

 

 

叩いてくれた秦くん(ナナシナ的通称:ハタリズム)も

 

気の抜けたMC含め、いい仕事してくれました。

 

褒美を授けたいと思います。

 

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そんな今回のライブ。

 

自分のなかでのテーマがあった。

 

それは、「がむしゃら」

 

 

 

3年間音楽活動やってきて

 

最初のころと比べてなにか変わったかなぁと考えたときに

 

上手い下手は置いといて

 

無難なステージが増えたな、と思った。

 

なんというか

 

「うまくなりたい」

 

じゃなくて

 

「うまくやりたい」

 

みたいな気持ちが大きくなっていた気がしたのだ。

 

 

その流れをなんとか変えたくて

 

振り絞った結果

 

幼稚園児の感想文みたいに

 

「いっしょうけんめいえんそうしました」

 

そんな夜になったのでとても楽しかった。

 

 

お客さんもみんないい顔に見えたよ。

 

たまらなかったよ。

 

MCでも言ったけど

 

直接顔を合わせないと、おんなじ場所にいないと伝わらないことって

 

とても大事だよね。

 

 

そんな楽しみすぎた夜がゆえに

 

いい忘れた!みたいなMCもあったりしてね。

 

まぁでも今回は「レコ発」なもんで

 

せっかくだから消化不良のMCのぶんも兼ねて

 

収録曲の紹介をここでしておこうと思います。

 

買ってくれた人、ぜひ読んでくれい。

 

 

【ミニアルバム シアンパレット収録楽曲紹介】

 

1、コール&レスポンス

 

たいていのライブで所謂「つかみ芸」的な意味で歌ってきた曲。「いいですか」「いいですよ」というシンプルなやりとりは割と雑に説明しても8割は成功する(2割は失敗するんかい)。そんなライブ感を出したくて「いいですよ」のパートは自分のイベント「語りびき」に遊びに来てくれたお客さんと一緒にその場で録りました。なんで思い出深い曲。

音源ではいろんな環境音なんかを至る所に散りばめてアレンジしました。一番最後の方で聞こえる蛇口の閉まる音がお気に入り。

 

2、拝啓、スロースターター

 

ライブで歌詞だけ聞いてるとたまに勘違いされるんだけど、別にナナシナは小学校の時にピアノレッスンにも通ってないし、ストーンズで音楽に目覚めてもいないからね 笑。そういう、いかにも若い時から音楽の道を志してきた人に対する憧れがあるんですよ。私には。ちなみに初めて買った音源はストーンズではなく、ポケットビスケッツのレッドエンジェルです。懐かしすぎ。

 

3、アップアッパー

 

一応この曲を中心にしてアルバムを作ろうと考えたので、MVにもしております。文字にするとダサイ言葉だが発音すると超気持ちいい、みたいなポイントは多し。今回のなかで一番自分らしく書けた曲ですね。気に入った人は絶対歌詞読んで欲しいよ。これはユーチューブのコメント欄にも歌詞載せてるからね。なぜカエル?と聞かれたりするが、カエルは単純に好きなだけです。みんなも無意味にタピオカとか好きでしょう。

 

4、街並みスヌーザー

 

もはやこの曲の説明をしたかったが故に、これを書いていると言っても過言ではない。「スヌーザー」という言葉は耳慣れないかもしれないが、「スヌーズ」機能というとピンとくるでしょう。スマホの目覚ましについてる、二度寝防止のあれです。本来スヌーズとは「居眠り」みないな意味らしいんだけど、それにerがつくとスヌーザーで「居眠りしてる人」とか「眠たそうなやつ」といった意味になるらしい。つまりこの歌は「眠たくてしょうがないやつ」の歌なのだ。シチュエーションとしては、新天地で頑張るサラリーマンに5月頃片側3車線の渋滞で聞いてもらえると最高だ。野暮な話ではあるがひとつだけ歌詞に触れさせてもらうと「知ったかぶりの歌、音漏れしないようにボリュームを”上げた”」という風な部分があるのだが、ボリューム上げたら、もっと音漏れするじゃん!と思うかもしれない。しかしこれはそういう正しい日本語の授業ではなく、歌詞なのだ。ここは”上げる”で間違いない。あとは感じてくれ。ちなみにスヌーザーという言葉はメロディに乗って出てきてて、後で意味を調べてみるとちゃんと成立してて面白いなと思い採用しました。

 

5、花咲く街で

 

この曲はピアノが合うだろうなぁと思って、いつかピアノ弾き語りとかやってみたい曲です。なので音源はピアノメインにしました。MCでもよく話すけどイメージは12月~1月頃、つまりちょうど今くらいの時期。社会人だったら部署移動とか、学生だったらクラス替えとか、卒業とか、そういう3月~4月に控える”出会いと別れ”のイベントを意識し始める時期がこのへんかなと思うのです。寒さも人恋しさを助長する時期だよね。人生の中でいろんな出会いと別れがあるけれど、毎年、もっというと毎日、街のどっかで花は咲いていて、枯れていく。人間同士の出会い別れ、他にもいろんなモノを飲み込みながら花を咲かせる街で、なるたけ笑っていたいよね。

 

 

6、ナツメの光(ライブ)

 

これはライブテイクですね。ぽこっと書き上げた曲だけど、割と好きって言ってくれる人が多いので可愛がってやろうと思って収録。ナツメ球って言われてピンとこない人が結構多い。あの光、ほんとロマンチックかつエロチックだよね。3:7でエロチックだよね。ていうかエロチックだよね。

 

 

というわけで、ナナシナタロウ「シアンパレット」でした。

 

レコ発も楽しく終えまして

 

しばらくはこの曲らを演奏していきたい、、、

 

 

んですがやりたい新曲が溜まってるんで

 

あんまりやらないかも 笑

 

だから音源で聞いてくださいまし。

 

 

とにかくライブ楽しかった。

 

所々の大ミスは来てくれた人だけの内緒ね(はーと)

 

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よく道をきかれるのはなぜだろう。みんな意外とそうんなんだろうか。

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道をきかれる。

 

たぶん、人よりは聞かれる気がする。

 

でもよく考えると、最近はあんましきかれていない。

 

「道をよくきかれていた」が正しいのかもしれない。

 

 

そんな「道きかれ歴」のなかで、

 

印象に残っているものがある。

 

 

ある日、

 

信号待ち(僕は徒歩)していると

 

目の前を左折していく車のなかから

 

助手席のヤンキーが僕に道を聞いて来た。

 

 

「お兄さん、親富孝通りはどっち?」

 

 

左折の最中に、だ。

 

ゆっくり目のスピードあったとはいえ

 

車で走り去っていく対象に対して道を説明するのは始めての経験だった。

 

答えようとするが、ことばを考える間に車はどんどん離れていく。

 

僕はうまく対応できただろうか。

 

ていうか、聞こえたのか、あれ。

 

ジャスチャーくらいは見えたかもしれないな。

 

 

あの行為は間違いなく

 

道の聞き逃げ、だ。

 

勘弁してほしい。

 

 

ともあれ

 

あのヤンキーはきちんと親不孝できたのだろうか。

 

 

 

もうひとつ。 

 

 日本を車でぷらぷらしていた時に

 

北海道の海水浴場で

 

ギャルにふたりに

 

「お兄さん、川ってどっち?」と聞かれた。

 

海水浴場にまで来て川を探すとは

 

相当な天邪鬼なのか、海水アレルギーかなんかのか。

 

はたまた北海道地方に伝わる逆ナンパの手法だったのか。

 

謎でしかなかったが、

 

それを謎のままに終わらせてしまったことに後悔である。

 

そして川の場所は知らなかった。

 

ギャルは「ウケる」と残し去って言った。

 

なにがウケたのか。

 

これも謎である。

 

 

そんな珍しいパターンの「道きかれ」もそうだが

 

普通にラーメン屋の場所とか聞かれることは多い。

 

それが僕だ。 

 

そう思っていた。

 

 

しかし、最近は道をきかれなくなった。

 

それに気づいた。

 

いつからだろう、と考えると。

 

わからない。

 

でも音楽を始めてから、そういう機会が減ったことは確かだ。

 

もしかすると、風貌や雰囲気的に

 

僕は道を知らなそうな人に変わってきたのかもしれない。

 

なんなら、道に迷ってる人に思われている可能性もある。

 

 

例えば、最近自己紹介するときはには

 

「アラサーで音楽活動を始めましたナナシナタロウです」と言う。

 

この台詞はもはや

 

人生という道に迷っているようにしか聞こえないだろう 笑

 

 

普段からこんなやりとりを続けているがゆえに

 

いつのまにか僕は、道に迷ってそうなオーラを出すようになったのかもしれない。

 

いや、そりゃ多少は迷ってるけど。

 

逆な感じではあるんだけどね。

 

やっと見つけた道がこっちだった、みたいな感じだと思ってるんだけどね。

 

 

 

音楽活動をやり始めてから少し時間が経ち(もうすぐ3年)

 

少しだけ、

 

自分のことを「ミュージシャンです」と言うのにも慣れて来た。

 

あくまで慣れただけであって

 

本当にそうなのか?証拠は?という風に問い詰められると

 

よくわかりませんとしか言えなくなってしまうのは間違いないが。

 

 

4年、5年と続けて行けば

 

この道ももう少し開けて見えるのだろうか。

 

その頃には、他のミュージシャンなんかから

 

音楽において

 

道をきかれるようになっているのだろうか。

 

そんなことをふと思う。

 

 

こと音楽にかんしては

 

この三年間、会う人会う人に

 

道を訪ねてばかりだった気がする。

 

どうしたらいいんだろう、と。

 

 

ふわりふわりとした地面に脳みそを転がして

 

流されるがままにいたような気がする。

 

 

最近は少しだけ、自分のやりたいことが見えてきた気がする。

 

それに、

 

道を聞いてばっかりの生活には飽きて来た。

 

これからは少し、自分の道を作るような音楽を、

 

そんで生き方を素直に出来るといいなと、

 

なんとなく思うのである。

 

 

 

そしてそのうちにでも

 

またよく道をきかれるようになりたいもんだ。

 

左折中の助手席からとかでないことを祈る。

 

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ナナシナタロウ

YouTubeチャンネル【https://bit.ly/2IIzV7V

MVなどなど公開中!

あいつ、なにしてんだろう。僕はワンマンまで一週間です。

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師走になってしまった。

早いもんだ。

 

無事に引越しを終えて、あーだこーだと準備をしていたら

 

あっという間に時間が過ぎてしまった。

あと一週間でワンマンだ。

 

おかげさまで多数の予約を貰っており、いい感じにプレッシャーを感じている今日この頃。

 

地道に活動を続けてきた甲斐があるというものだ。

 

最近、ツイッターやらフェイスブックやらのSNSについてよく考える。

 

スマホひとつあれば、まるで世界中と繋がっているような、可能性が無限大かのよう気持ちになる。

 

色んな告知もずいぶん便利になった。

 

10年前にはこれ、なかったからなぁ。

すごい変化だよ。

 

なんて、そんなことを考えているうちに思い出したこと。

 

そもそも、僕はSNSが苦手だったということ。

 

音楽をやるってなってから、

情報を発信するために必要だからって意味でアレコレ積極的に使い始めたけど

 

他人の私生活を見て嬉しい気持ちにならなかったし、

 

自分の私生活をわざわざ投稿することにも抵抗があった。

 

えらいもんが流行りだしたな、と思った。 

 

で、いまはどうかというと。

 

 

慣れた。

 

 

完全に慣れている。

 

 

SNSがある暮らしに、完全に

 

「慣れて」いる。

 

でも実をいうと今でも苦手ではある。

 

たぶん、僕は音楽をやらなかったら

 

あんまり積極的にSNSとかやってなかったと思う。

 

そして、類は友を呼ぶというのか

実際、仲良い友達とかも

そういうの苦手、というか興味ない?奴が多い。

 

というか、意外とそういう人って

まだまだ多いんじゃないかと、思うのだ。

 

僕のライブをよく見に来てくれる人も、SNSをやってない人が多い。

 

当然、僕のことをSNSでどうこう書くわけでもない。

 

こういう時代に生きてると、

ネット上で拡散された情報にこそ価値があるように感じてしまう瞬間があるけど。

 

ネットなんかに載ってなくたって、

ちいさな革命は

個人の中での爆発は

いろんなとこで起こっているのだ。

 

きっとそうなんだ。。

 

そんなことをぐるぐると考えていた。

 

そうすると、

 

ある友人のことを思い出した。

 

 

名を、トモゾウという。

 

幼稚園からの同級生である。

 

ちょっとシャイで、僕より背が高くて

 

頭が良くて、首が長かった。

 

どちらかというと真面目系に属するタイプ。

 

オシャレなんかには円遠い雰囲気だったが、

 

ジョークのセンスがあって

 

楽しいやつだったのを覚えている。

 

 

高校三年の終わり。

 

当時の実家、つまりは団地の自室でだらりとしていると

 

ふいに呼び鈴が鳴った。

 

玄関の魚眼から外を覗くと

 

うにょんと伸びたトモゾウがそこにいた。

 

その光景を僕は恐らく5年以上見ていなかった。

 

もう何年も遊んでいない友人が

 

いま目の前にいるのだ。

 

 

僕が高校生当時というと、

 

わりと多くの人間が携帯電話もしくは、PHSを所有し始める時代だった。

 

プリペイド式で安く手に入るものなどもあり、

 

僕の周りでもほとんどの人が何かしらの

 

モバイルフォーンをいじり倒していた。

 

 

意味もなく相手の携帯を一瞬だけならす、

 

ワン切り」「ワンコール」なる異質のコミュニケーションもあったが

 

話が長くなるので、それはさておく。

 

 

つまりはその頃、コミュニケーションの手段が

 

「携帯」「メール」に移行していた時代だったのだ。

 

 

そんななか、トモゾウは僕の家に来た。

 

急にだ。

 

予告なしで。

 

数年の時を経て。

 

固定回線すら鳴らさずに、だ。

 

 

うにょんと伸びた彼を見ながら

 

僕は、少し恐ろしくなってしまった。

 

え、来る?急に来る?

 

小学校とかの頃はそういうノリだったけど

 

高校生にもなって

 

電話も鳴らさず、急に家に来る?

 

なにかあったの、怖いんだけど。

 

 

いろんな思いが頭をよぎったが

 

いつまでも、

うにょんと伸びた彼を見ておく訳にもいかないので

 

玄関を開け招き入れた。

 

 

どうしたのか、急に。

 

なにかあったのか、と矢継ぎ早に質問をするが

 

 

「いや、いるかなと思って」

 

帰って来るのはそのシンプルな答えのみ。

 

 

その言葉と、ボサボサの頭と変わらないダサいベンチコートを見ていると

 

なんだか懐かしい気持ちになる自分がいた。

 

 

そして、気づいたこと。

 

まず、彼は携帯を持っていない。

 

超がつくほどの進学校に進んだため

 

恐らく勉強づけの毎日だったのだ。

 

これは想像でしかないが

 

彼のなかでの遊び方、というのは

 

小学〜中学の頃からストップしてしまったのだろう。

 

そして、受験がひと段落したこのタイミングで

 

ふっと遊びたくなったんじゃないだろうか。

 

それで僕の家を訪ねて来た。

 

固定電話すら鳴らさず、

 

いるかどうかも分からない、僕の家に。

 

 

その日は、くだらない話をして

 

久しぶりだからと、インスタントカメラで写真を撮った記憶がある。

 

話の内容は全く覚えていない。

 

 

彼とは結局それからも、ほとんど会うことはなかったんだけど

 

ふっと最近、この出来事を思い出した。

 

 

 

僕とトモゾウはSNSで繋がっていない。

 

いま何をやっているのかも知らない。

 

「あいつ、なにしてるんだろう」

 

十数年前のあのとき

 

あいつもそんな風に僕のことを思い出して

 

なんとなく家に来たのかなと想像すると

 

あの日のことがとても大切に思えた。

 

 

SNSなんかで繋がっていないからこそ生まれた

 

「元気かな」

「変わってないのかな」

 

という気持ち。

 

こういう時代だからだろうか、

なんならロマンチックにさえ感じてしまう。

 

 

 

 

最後にあったのは成人式のとき。

 

 

ほんとにあいつ、いま何してるんだろう。

 

 

僕はいま、ロマンチックに考えている。 

 

 

 

 

 

 

 

消去法で秋が好き。

10月が終わる。

 

「やらなければ」

 

と思っていることが山ほどある。

 

決して「やれなければならない」ことではなく

 

自分で勝手に「やらなければなぁ」と思っていることである。

 

 

新しいミニアルバムを作ったが、まだちゃんと告知をしていない。

 

12/10にワンマンをやることになったのだがその告知もちゃんとしていない。

 

他にもいろいろある。

 

そんな状況でこの文章を書いている。

 

現実逃避に文章書きはちょうどいいのだ。

 

 

 

「10月が終わる」というところに話を戻そう。

 

僕の感覚では、10月とは秋。

 

実は一番好きな季節なのである。

 

 

みなさんにも好きな季節はあることだろう。

 

欲張りな人は「ぼく、夏も冬も好き!」とか言うのかもしれないが

 

人生は選択の連続である。

 

好きな季節くらい決めなさい。

 

 

では、なぜ僕が秋が好きなのか。

 

 

それを伝えるには、

 

「秋」以外の季節について

 

語る必要があるので。

 

ひとつずつ整理していこうと思う。

 

 

まず初めに、夏について。

 

問答無用だ。

 

暑い。

 

これにつきる。

 

この絶対的な条件がある時点で

 

こいつは絶対一位には輝けない。

 

ただ勘違いしてしないでほしいのは

 

別に、嫌いではないということだ。

 

 

僕だって花火を見ると胸がキュンとなる(ときもある)し

 

夏の終わりのあぜ道なんかは、

 

歩くだけで涙が流れそうになる。

 

脳内では森山直太朗の声が勝手にリフレインする。

 

最高だ、最高な季節だ。

 

 

ただ、それを差し引いても

 

圧倒的な暑さを誇るこの季節を

 

「ぼく、なつがすきなのっ!」

 

と言えるようなタイプではない。

 

率直にいうと、キャラじゃない。

 

僕に夏はあまり似合わないのだ。

 

 

よって夏は落選。

 

残念ではあるが。

 

 

 

次は、冬。

 

 

実は僕は、若い頃結構太っていて

 

どちらかというとポッチャリ体型。

 

今でこそ痩せ型であるものの

 

当時は普通にダイエット目的でランニングとかするような男だった。

 

 

その頃は、冬が一番好きだった。

 

自分の誕生日も冬だし

 

冬の空は空気が澄んでいて

 

星がきれいに見えるきがする。

 

当時は煙草を吸っていたから、

 

星空を見ながら煙草を吸うのが好きだった。

 

深く息をすると鼻の奥が少しツンとする

 

あの感じも大好きだ。

 

 

冬の好きなところを挙げると

 

おそらく夏より多くなってしまうかもしれない。

 

 

しかし

 

状況は変わった。

 

痩せてからというもの

 

冬は僕に牙を剥くようになったのだ。

 

 

圧倒的な冷え性になったのである。

 

靴下は二枚ばき。

 

それでも足先は冷える。

 

ヒートテックは欠かせない。

 

首は冷やさないように。

 

喉がすぐ乾燥してしまう。

 

風邪もひきやすくなった。

 

 

全部痩せてからの変化だ。

 

加齢も手伝っているのかもしれない。

 

 

冬は変わらずに冬なのに

 

変わってしまったのは僕の方なのに

 

この「冷え性」という

 

OLっぽいオプションを背負った僕は

 

残念ながらもう

 

「冬が一番好き」と言うことは出来ない。

 

 

残念な話である。

 

でも仕方ない。

 

いままでありがとう、冬。

 

 

 

次に春。

 

おそらく一番人気のある季節ではなかろうか。

 

陽は暖かく、みどりが生い茂り

 

日本においては

 

出会いと別れの季節である。

 

「忘れられない春の思い出がある」

 

そんな人も多いだろう。

 

僕もそうだ。

 

そのうえ春には桜が咲く。

 

あの美しい風景と、花びらが散っていく様には

 

風情を感じずにいられない。

 

不動のナンバーワンシーズン。

 

それが春、のはずである。

 

 

 

しかし、やっかいなのが

 

花粉だ。

 

僕は割と高いレベルの花粉症で

 

血液検査でもスギの数値は真っ赤っかだった。

 

毎年、事前に耳鼻科に通いマスクも欠かせない。

 

 

論外だ論外。

 

花粉が飛ぶ季節が好きだなんて、絶対に言えない。

 

今すぐに政府はスギの木を全部伐採するべきだ。

 

よって春は残念ながら

 

一番好きな季節とは言えないのだ。

 

 

どうだろう。

 

 

つまり僕は

夏も冬も春も

 

絶対に好きとは言いたくないのである。

 

それくらい許せない要素を含む季節なのだ。

 

 

それは言うなれば消去法で

 

「秋が一番好き」だということになる。

 

そういうことだ。

 

 

さて、最後に秋について。

 

 

ついに秋について語れる。

 

秋はいいぞ。

 

気温が中途半端で。

 

暑くも寒くもない。

 

 

ほら、読書の秋。

 

あとは、食欲の秋。

 

とかさ

 

いい、秋。

 

やっぱり秋が一番だ。

 

 

あとは、、

 

ええと、

 

おかしい。

 

なんだか筆が進まない。

 

 

僕が、消去法で「一番好き」な季節のはずだ。

 

 

一番好きなのだ。秋が。

 

なぜか書くことがあんまりない。

 

もしかすると僕は秋が好きなのでなく

 

秋にあまり興味がなかっただけなのだろうか。

 

 

なんということだ。

 

 

もしかて

 

ものの好き嫌いを

 

「消去法で決めるべきではない」のかもしれない。

 

 

そういえば、ではあるが

 

僕が仲良くなる人たちは

 

コイツめんどくせぇなぁ、とか

 

腹がたつなぁ、と思う人が多いきがする。

 

 

もしかすると

 

それくらいが、

 

ちょっとムカつく位のほうが、

 

魅力的に感じてしまうのかもしれない。

 

季節も人も。

 

 

まぁ、

 

とりあえず僕は

 

消去法だと秋が一番すきだということだ。

ありがとう。引っ越します。

さて、新しい音源もあとは到着を待つだけになった今日この頃。

 

いままでありがとうございました。

 

引っ越します。

 

福岡市から福岡市へ引っ越します。

 

いまの近所の方々ありがとう。ほんとにありがとう。

 

ギターをちょろっとかき鳴らすと

 

下から床をドンドンしてくれる隣人。ありがとう。

 

世話かけたな。

 

 

思えば、福岡に住み始めて一年半。

 

まさかこんなに早く引っ越すとは思わなかった。

 

 

でもいま思い返してみると、

 

自分は家をでてから

 

同じ場所に二年以上住んだことが無い。

 

飽きっぽいのか。

 

飽きっぽいのか、俺。

 

 

正直引っ越しなんてしたくない。

 

毎回それなりの理由はあるのだ。

 

ちなみに今回の理由は「部屋の電気が悪い」だ。

 

冗談では無い。

 

宅録とかするとやけにノイズが乗る。

 

色んな場所で検証した結果。

 

原因は家の電源だと判断された。

 

これは宅録ニストとしては致命的である。

 

実際ノイズのせいで取り直したテイクも多かった。

 

もろもろ理由はあるが、主な引っ越し理由は

 

「電気が悪い」だ。

 

次の場所は電気が良いことを願う。

 

 

 

思えば最初に一人ぐらししたのは

 

大学を出て新卒での就職のとき。

 

博多駅のすぐ南らへんの小さなマンションだった。

 

狭かったけど、初めての一人暮らしはそれなりに楽しかった。

 

いや、待てよ。

 

あのころ5年以上彼女とかもいなかったし

 

今よりもっと非社交的だったから、、楽しくはなかったな。

 

自由なんだけど、それを持て余してる感じで、

 

正直戻りたくはないかもしれない。

 

酒は変わらずに弱かったが、当時は煙草を吸っていた。

 

だからもっと声もしゃがれてたし、

 

ギターも歌もやっていなかった。

 

 

 

新卒の仕事では2年間福岡にいた。

 

転勤で地元に戻り

 

3年めになんと会社自体が倒産した。

 

それについては話が大幅にそれるので置いとくが、

 

ここでもやはり2年程度で博多から引っ越している。

 

 

そんな、ボケッと過ごしていた博多での2年間、

 

どんなことを思い出せるだろうか。

 

いま思い出せるのは

 

「星の写真を撮っていた」ということ

 

当時の友達にはカメラ始めました、的な人がいたので

 

例えばだ、例えば埠頭で夜空に向けてシャッターを解放し

 

2時間とか3時間、

 

キャンプ用のガスで沸かしたお湯でもって

 

コーヒー飲んだり、カップヌードルを食べたりしながらだべっていた。

 

よくわからん遊び方だ。

 

 

ここで大事なのは、外で食べるカップヌードルは美味いということだ。

 

食具がプラ製のフォークならなおよい。

 

あれはなんなんだろう。

 

一般的なカップ「ラーメン」ではダメなのだ。

 

日清のカップヌードル(普通のやつ)がいいのだ。

 

あれを今くらいのちょっと肌寒い時期に

 

外で鼻水垂らしながら食べていると

 

なぜかできる男になった気分になるのだ。

 

そんな瞬間がとても好きだった。

 

 

そして2〜3時間後

 

レリーズで開けっ放しにしていたシャッターを閉じると

 

よく教科書に出てくるような

 

「北の空」「東の空」みたいな雰囲気の写真が完成する。

 

それを、よしよしと眺め、家に帰るのだ。

 

今はその写真もどこにいったか、わからないが

 

あの時のコーヒーとカップヌードルの味は忘れちゃいない。

 

 

あれ、意外と楽しそうだな。

 

 

 

今度の引っ越し先でも

 

ジジイになっても思い出せるような

 

そんな出来事があるといいな。

 

 

とりあえずは、

 

電気が良いことを願う。

 

 

 

 

レコーディングって・・

時間が空いたら、レコーディング作業を進める日々である。

 

自分でのなかでの締め切りは9/30だった。

 

これを書いているのが10/4なので、すでに締め切りをすぎている。

 

もしもぼくが伊佐坂先生だったら

 

のりすけさんが玄関で待機している状況だろうが

 

幸いじぶんで勝手に決めた日付だし

 

僕は伊佐坂先生ではない。

 

助かった。

 

 

なんでもものごとに、特に「ものづくり」には

 

締め切りがないと終わらない

 

という性質があると思う。

 

今回のミニアルバムも基本的に自分一人で作っているから

 

締め切りというものも、いつ何をしなければならないということもない。

 

これが厄介だ。

 

ふと気を抜くと眼球がパンパンになるほどYouTubeを見ているだけのときもある。

 

この案件はもう締め切りですよ!急いで!と

 

急かす人間を雇いたいくらいだ。

 

でもそんな余裕はないので、

 

少し工夫をするように心がけている。

 

例えば、iPhoneのタイマー機能。

 

家事をするときとか

 

「ヘイSiri」と問いかけて、30分などのタイマーを設定するようにしている。

 

この時間をすぎると、この日の家事はもうやってはいけない。

 

この機会を逃すとシンクの皿はたまるし

 

洗濯物は干しっぱなしになるのだ。

 

そう心がけて取り組むと、少し集中力があがる。

 

 

これが締め切りの効果だと思っている。

 

レコーディングもそうだ。

 

今回、自分で日程を決めて、

 

この日までに!とすることで

 

多少はSiri、もとい尻を蹴りあげられる気持ちになったと思う。

 

実際、すぎてはいるのだが。

 

 

これから先、長い人生をおう歌する為に、

 

色んな締め切り方法を試してみようと思っている。

 

ちなみにこのブログは

 

部屋で掛けている

 

サージェントペパーズのB面が終わるまでに書き上げるとこにしている。

 

そしてすでに最後の曲

 

a day in the lifeがかかってる。

 

なにも着地点のみいだせないまま、

 

曲はすでに一度転調している。

 

これ転調ていうのかな。

 

ポールのパートのに入っている。

 

なんならなぜかドキドキしながらキーを打っている。

 

焦っている。

 

でもとりあえずは、ひとつブログを書き上げることが

 

できるわけだ。

 

なにがいいたいかというと、

 

締め切りは大事だということと

 

もうすぐCDができますということと

 

部屋でビートルズを聞いていますということだ

 

・・ジャーン!!♬

 

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かまきりりゅうじ

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このまえ、夏の終わりに

 

かまきりに出会った。

 

僕の中でかまきりといえば

 

小学校の国語で習った

 

「かまきりりゅうじ」の詩。

 

何年生だったか覚えてないけど、

 

先生に「りゅうじになりきって読むのよ!」と指導され

 

当時のウチのクラスはみんなで笑いながら音読してたのを覚えてる。

 

 

おう なつだぜ
おれは げんきだぜ

 

から始まるかまきりの独り言みたいな詩なんだけど、なんかこれが強烈にインパクトに残る。

 

ひらがなのみで構成される、一見すると怪文書的なルックスでありながら

 

冒頭で季節と自分の健康状態を語るという圧倒的にオーソドックスな入り口。

 

全文は以下の通りだ。

 

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おれはかまきり /かまきりりゅうじ

 

おう なつたぜ
おれは げんきだぜ
あまり ちかよるな
おれの こころも かまも
どきどきするほど
ひかってるぜ


おう あついぜ
おれは がんばるぜ
もえるひを あびて
かまを ふりかざす すがた
わくわくするほど
きまってるぜ

 

(「のはらうた」工藤直子より)

ーーーーーーーーーーー

 

たまんないぜ、りゅうじ。

 

何年か前に友達と、この授業の話になってネットで調べたことがあるんだけど、これって割と大切な授業らしくってさ、

 

詩の最後に

 

(「のはらうた」工藤直子より)

 

と記されているのがポイントで、

 

この文章を書いたのは

 

かまきりりゅうじ

 

なのか

 

工藤直子

 

なのかをみんなで考えるんだって。

 

話者と作者の違いを覚えるわけだ。

 

そのときにかいてあったデータで

 

最初は

かまきりりゅうじが書いたと思う派

工藤直子が書いたと思う派

 

それぞれが半分ずつくらいなんだけど

 

話し合いをしたあとでは

 

かまきりりゅうじが書いたと思う派の

人数が少し減って

 

工藤直子が書いたと思う派は

そのぶん増える。

 

そして同時に「わからない」っていう子どもの人数も増えてるのが面白くって。

 

話し合った結果、

 

もう訳がわからないよーッ!!

 

どっちが書いたんだよコレッ!!

 

ってなってる子どもを想像したら

 

とてもキュートでたまらない。

 

「そうだな、謎だよな」って言ってあげたい。

 

そんな妄想を膨らませる。

 

おれはかまきり、はそういう楽しみ方をする詩なのである。