かまきりりゅうじ
このまえ、夏の終わりに
かまきりに出会った。
僕の中でかまきりといえば
小学校の国語で習った
「かまきりりゅうじ」の詩。
何年生だったか覚えてないけど、
先生に「りゅうじになりきって読むのよ!」と指導され
当時のウチのクラスはみんなで笑いながら音読してたのを覚えてる。
おう なつだぜ
おれは げんきだぜ
から始まるかまきりの独り言みたいな詩なんだけど、なんかこれが強烈にインパクトに残る。
ひらがなのみで構成される、一見すると怪文書的なルックスでありながら
冒頭で季節と自分の健康状態を語るという圧倒的にオーソドックスな入り口。
全文は以下の通りだ。
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おれはかまきり /かまきりりゅうじ
おう なつたぜ
おれは げんきだぜ
あまり ちかよるな
おれの こころも かまも
どきどきするほど
ひかってるぜ
おう あついぜ
おれは がんばるぜ
もえるひを あびて
かまを ふりかざす すがた
わくわくするほど
きまってるぜ
(「のはらうた」工藤直子より)
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たまんないぜ、りゅうじ。
何年か前に友達と、この授業の話になってネットで調べたことがあるんだけど、これって割と大切な授業らしくってさ、
詩の最後に
(「のはらうた」工藤直子より)
と記されているのがポイントで、
この文章を書いたのは
かまきりりゅうじ
なのか
なのかをみんなで考えるんだって。
話者と作者の違いを覚えるわけだ。
そのときにかいてあったデータで
最初は
かまきりりゅうじが書いたと思う派
工藤直子が書いたと思う派
それぞれが半分ずつくらいなんだけど
話し合いをしたあとでは
かまきりりゅうじが書いたと思う派の
人数が少し減って
工藤直子が書いたと思う派は
そのぶん増える。
そして同時に「わからない」っていう子どもの人数も増えてるのが面白くって。
話し合った結果、
もう訳がわからないよーッ!!
どっちが書いたんだよコレッ!!
ってなってる子どもを想像したら
とてもキュートでたまらない。
「そうだな、謎だよな」って言ってあげたい。
そんな妄想を膨らませる。
おれはかまきり、はそういう楽しみ方をする詩なのである。